12/16/2006

帰還

 飛行機に乗る直前までハプニングの連続でしたが、ともかくロンドンに帰りつきました。機内ではMAIT同期の4人で並んで座っていました。

 カタール航空の機内はそれぞれの座席に液晶ディスプレイが設置されており、映画、音楽、テレビ、ゲームなどを楽しむことができます。映画のチャンネルは言語別に分かれており、ひさびさに邦画を見ました。

 『明日の記憶』という作品で、主役の渡辺謙が若年性のアルツハイマーにかかったビジネスマンを演じ、渋谷の町を走り回る場面があります。かつては毎日のように歩き回っていた風景です。他にも日本の家庭の様子などの細部に眼がひきつけられました。

 中東からヨーロッパに帰る空中で見る日本は思いがけない親密さを持っていました。だからといって特に日本に帰りたいという気持ちを駆り立てられることはありません。ただ遠く離れた場所から日本のことを思い出すのが楽しいのです。

 ヒースローには数人の友人がわざわざ出迎えに来てくれました。ソフィアとリンは、それぞれの彼氏が迎えに来ていて連れられていきました。

 フラットに戻ると、冷蔵庫にはまともな食糧はほとんどありませんでした。シュアンはこの半月間、ほとんど料理をしなかったそうです。リビングの電球も切れているのですが、交換できないようです。結局、夕食はシュアンの分まで私が用意するのです。

 それでも誰もいない部屋にひとりで帰ることを思えば、気心の知れた仲間がいるのは幸せなことです。

 明日からはまた翻訳です。ドーハにいる間は量を減らしてもらっていたのですが、今週からまた平常に戻します。

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12/15/2006

逮捕

 閉会式の今日、ほとんどの通訳者は仕事がなく、カタールでの最終日をどのように過ごすか、みなそれぞれの計画を立てていました。それぞれの選択肢にそれぞれの人間関係が絡み、迷いつつも、私は結局、あらかじめ決めてあった約束を振り切りきれず、バースの仲間と市内観光に繰り出しました。

 主な目的地はスークと呼ばれるアラブの商店街です。モロッコでもいくつかのスークを経験していましたが、カタールのスークはモロッコよりも近代化されており、商品の品揃えもまったく違いました。

 一日も終わりが近づいた頃、スークのはずれの広場にたどり着きました。広場の真ん中には楽団が陣取り、テラスのあるカフェで一帯に満ちる音楽を聴きながら、くつろぐことができます。

 我々も思い思いのお茶を飲み、ロンドンで覚えた水煙草を吸い、ドーハの最後の夜を堪能していました。

 すぐに中国語通訳のリンがバルコニーの上で踊り始めました。こうした場面でリンが踊りだすのはいつものことなので、私とフェイは特に驚きもせず、リンのしたいようにさせておきました。

 リンの踊りはすぐに衆目を集め、広場中の人々が我々の席のほうを向いていました。カメラを持っている人の姿もちらほらと見えました。

 カフェのウェイトレスも大喜びで、なんなら広場の真ん中の楽団の前で踊ってもいいよ、と言っていました。リンにお茶を奢ってくれる人もいました。ドーハの地元の人も我々の席に寄ってきて、なにかと話しかけてきました。

 一時間ほど踊ったリンが疲れ果てたので、我々は帰りのタクシーを拾うことにし、大通りのほうに向かい歩きはじめました。

 ふいにあまり人相の良くないアラブ人に英語で呼び止められました。最初、白タクの客引きかなにかだろうと思い、相手にしていなかったのですが、どうも様子が変です。

 男は、とにかく話があるから来い、というのです。目的は分かりません。理由を聞いても話そうとしません。

 やりとりをしている間に相手の数は三人に増えました。男の差し出す身分証明書を確認すると相手は警察でした。

 諦めて警察に行くと署内のテレビでは、アルジャジーラがアジア大会の閉会式の模様を放映していました。

 身分証明書を出せ、というのですが、パスポートはホテルに置いており、所持していたのはアジア大会の通訳者としての登録証のみです。私もそれを提示したのですが、必要ないといわれました。問題なのはリンだけなのです。

 踊っていただろ、と警察官はいいました。どうやら公衆の面前で踊ることは禁じられていたようです。

 もしかしたら携帯のカメラで写真でも撮っていたんじゃないか、携帯を出してみろ、と言われました。今度は全員です。我々は現地のエージェントから支給された安物のノキアを取り出して見せました。

 カメラは持ってないか、と言う質問をしつこく繰り返され、携帯はこれだけでカメラはついていません、と答えました。

 リンだけが別室に呼び出され、尋問を受けることになりました。リンは席を立つ瞬間、自分の鞄からカメラを取り出し、私の掌のなかに落としました。

 幸い私の鞄には多くのポケットがついていました。リンがいなくなってから私は、リンのカメラと自分のカメラを鞄のなかの最も分かりにくい場所に隠しました。

 警察には30分ほど身柄を拘束されていました。

 明日、12時45分発の便でロンドンに向かいます。空港まではエージェントのクルマで送ってもらえます。

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12/14/2006

ほぼ完了

 今日は初めてメイン会場のアスパイアに行きました。担当は水泳の飛び込み競技でした。日本勢もいい線まで行ったのですが、結局、メダルは取れませんでした。

 開会式は明日ですが、今日でほぼ業務は完了です。今日の夜は現地のエージェントの主催でパーティーがありました。会場はマリオット・ホテルで、料理もおいしかったです。けれどもアルコールは出ませんでした。

 パーティーの途中、なにやら秘密めいた合図を受け取りました。テーブルの下からウォッカのミニボトルが回ってきました。自分ではお酒を飲めないバースの同級生がわざわざ私のために回してくれたのです。

 パーティーのあとはクラブに行きました。中途半端な盛り上がりでしたが、そこではお酒も飲めました。けれどもあいにく現金の持ち合わせが少なく、ビール一本しか飲めませんでした。

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12/13/2006

なくて七癖

 今日はまたフェンシングの担当でした。会場に着いたときにはすでに日本選手は残っていなかったので、その時点で私の出番がないことはわかっていました。

 銀の韓国と金の中国の記者会見の直前、中国語通訳者のフェイが、緊張している、と漏らしました。なにかただならぬ気配を感じ、理由を聞くとフェイはわざわざ私を部屋の外に連れ出しました。フェイはバースの同期で、今でもロンドンでの遊び仲間です。

 フェイが言うには、昨日の会見で、韓国語の通訳者が間違った通訳をし、記者から厳しいクレームがついて、場内が騒然となったそうです。今日の韓国側通訳を担当するのが、その問題の通訳者なのです。

 今日の会見でのフェイの通訳は見事なものでした。脱帽です。それでもフェイは中国語コースのなかで特に優秀な学生ではなかったようです。

 問題の韓国語通訳者は、かなりゆっくりとしたスピードでひとことひとこと搾り出すような口調で話していました。そして記者の質問が聞き取れないときは、身を乗り出して確認し、質問を反復して確認していました。

 会見が終わるとNY在住のロシア語通訳者が韓国語通訳者に向かってげらげら笑いながら、いやはや、楽しませてもらったよ、お前の通訳はなかなかいいね、おれは好きだ、と言っていました。

 確かにその韓国語通訳者の英語は恐ろしく癖が強く、ちょっとでも集中力を欠くとなにを言っているのかわからなくなります。私の英語もそんなに分かりやすくはないはずなので、気持ちが引き締まります。

 インドやアラブ系の訛りの強い英語は特に分かりづらいのですが、そういう相手には私の英語も分かりにくいようです。ロンドンに帰ったら、もう一度、自分の英語を録音して分析し、対策を講じるつもりです。

 会場への往復にはいつも専用車で送迎があるのですが、韓国語通訳者とは別のクルマになりました。車内でロシア語通訳者は、つい先ほどの記者会見での韓国語通訳者の物まねをしていました。

 ホテルで夕食後、もうひとりのバースの同級生、リンと一緒に歩いていると、本当に通訳者になりたいの、と質問されました。リンは自分の将来に関して迷いがあるようです。もちろん私だってまったく迷いがないわけではありません。

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12/12/2006

空手

 空手の会場に行きました。これは柔道以上に日本の独壇場で、日本勢は今日だけで三つの金メダルを獲得しました。場内での取材インタビューの通訳のみで、正式な記者会見はありませんでしたが、金メダルの会見は通訳していても気持ちのいいものです。

 空手はスピード感も迫力もあり、これまでの競技で一番熱中して見物することができました。とはいえやはり朝11時から夜8時までの試合観戦は楽ではありません。しかも決勝戦の最中にAGNSの取材の打ち合わせのため話しかけてきたので、決勝の瞬間を見ることはできませんでした。

 今日の現場担当者はひどく杓子定規で、通訳が決められた場所に座っていないと気がすまないようでした。まったく出番のなかったアラビア語、韓国語の通訳者はつらかったのではないでしょうか。

 途中、中国のCCTVの記者が中国語の通訳に手伝いを頼んでいました。活躍の場を与えられた彼女は嬉々として席を立ちましたが、あとで現場担当者から紙媒体以外への通訳はしないようにと注意を受けていました。競技場での映像媒体への通訳はしないことになっているそうです。

 体調を崩す通訳者が増えています。そういう私もやや風邪気味です。おまけに一昨日、食事中に思い切り舌を噛んでしまい、そこが腫れてきました。喉や舌を痛めた通訳者は指を傷つけたピアニストのようなものです。

 気がつくと大会の日程もあとわずかです。

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12/11/2006

球と剣

 今日は主にフェンシングの会場にいたのですが、フェンシングでの仕事はなく、金メダルを取ったラグビーチームの記者会見で通訳をしました。

 今までは現場の担当者が記者会見場を使うのを嫌っていたせいもあり、わりあいくだけた取材の通訳しかありませんでした。というわけで今日は初めて記者会見の通訳でした。テレビカメラも回っていましたが、放送するためなのかどうかわかりません。

 とりあえずさまざまな面で力量不足を痛感しました。課題が山積みです。特にいかにわかりやすい英語を話すかというのが、一番の問題です。

 明日もまたむさくるしいメンバーです。中国語だけは男性がひとりしかいないので女性です。もしかすると武道系の競技は男性を当てるようにしているのかもしれません。

 ちなみに明日の担当種目は空手です。どちらかといえば格闘系の競技のほうが見ていて眠くならないので助かります。

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12/10/2006

ボウリング

 カリファ国際競技場が定位置だと思っていたら、今日はボウリング場になりました。ほぼ9時間ずっと他人のボウリングを見ていました。

 ボウリング場の設備は世界中どこでもあまり変わらないようです。自分で競技するならともかく、ただ眺めるだけのボウリングがこれほどつらいものとは思いませんでした。

 どうも私は一番長いシフトに当てられているのではないか、という考えに思い当たりました。周りの通訳者は日によって違うのに、私だけがいつもカリファだったのです。そして今日は、カリファではありませんでしたが、拘束時間は最長でした。

 やはり男で経験の浅いの通訳は体力勝負の場所にまわされるのでしょうか。と、被害妄想に浸っていたところ、明日の勤務は夕方5時から10時半の5時間半でした。

 けれどもチームのメンバーは5人中4人が男で、しかもそのうち3名は50歳代から60歳代です。ちなみに競技はフェンシングとラグビーだそうです。

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12/09/2006

ボディビル

 完全にカリファ国際競技場が定位置になっています。他の通訳者は変わるのに、私だけが連日この会場に詰めています。なぜなのかわかりません。ただ会場に慣れると、駐車場、休憩所、トイレなどの配置に困らずに住むので助かります。

 今日は朝10時から夜の7時までずっとボディビルの会場にいました。全身の筋肉を極限まで発達させ、油まみれの肌を光らせた選手たちは、遠目には人種の見分けすらつきません。

 音楽にあわせてさまざまポーズをとり、筋肉を盛り上げて見せる選手たちの仕草は、決して機敏ではありません。なにを競っているのかよく分からないまま、試合は進行し、順位がつけられ、それぞれの階級のメダルの授与が行われるのです。

 私のわからないところでどんなドラマが繰り広げられているのかわかりませんが、とにかく会場はすごい盛り上がりでした。

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12/08/2006

三つのメダル

 昨日、延期になった男子団体テニスの決勝戦が行われました。今日はじめて、テニスの団体戦というものがどのように行われるのかを知りました。

 試合は、今朝の10時から始まり、夕方の7時ごろまで続きました。途中、雨のため3度の中断がありました。一度、雨が降るとその度にコートの準備をやり直さねばならず、最低30分は試合が途切れることになります。

 今回、我々は報道関係者のための通訳なので、報道陣のために確保された最前列の席で試合を見ることができます。わざわざ試合を見に来ている人の大半は私よりもテニスに関心があるはずなので、なにか申し訳ない気がします。

 それでも冷たい雨の降るなか長時間座って待つのはなかなかつらいことです。一緒にいた女性の韓国語通訳者は風邪をひいてしまったようです。夕方からは疲労も蓄積していたようで、機嫌もずいぶん悪そうでした。

 テニスの試合もほぼ終わりが見え始めたころ、携帯がなりました。ボディビルの選手が銅メダルを取ったので、急遽、通訳に来てほしいというのです。テニスも気になっていましたが、慌てて会場に向かいました。

 ボディビルの取材を聞きながら、ノートをとっている最中、何度も携帯がなりました。ただならぬ気配を感じ、電話に出ると今度はソフトテニスの選手が銅メダルを取ったから来てほしいというのです。とにかくこの現場を済ませたら向かうと答え、通訳に戻りました。

 日本人記者を相手にした取材が続いていましたが、アジア大会の公式記事に必要な内容はもうそろったと思われたので、取材の途中で話を聞くのを切り上げ、AGNSの担当者に訳出を始めようとしたとき、現場の担当者が現れました。テニスの決勝がそろそろ終わるので、テニスコートに戻れというのです。

 その話をしている間にもまた電話が鳴り、ソフトテニスのほうに来て欲しいと要請があります。現場担当者が、ソフトテニスの銅よりもテニスの決勝のほうが重要だ、と言うので、テニスのほうに行くことになりました。

 ボディビルの取材の訳出はテニスコートに向かって歩きながら行いました。かなり長い話だったので、歩きながら要約していったのですが、どこまでうまくいったのかはわかりません。

 ぬかるんだ道路を歩かねばならないため、ひとそろいしか持ってきていない靴が無残な姿になってしまいました。

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12/07/2006

砂漠の雨

 今朝は8時からの勤務でした。7時半の集合に間に合ったのは私と中国語の通訳者だけでした。

 カリファ国際競技場では10時から男子団体テニスの決勝戦が予定されていたのですが、雨のため予定通り試合を始めることはできなそうでした。会場の担当者に聞いてみると、予定通りはじめられない場合、開始時間を1時間ずつ遅らせていくとのことでした。

 韓国語の通訳者とロシア語の通訳者は遅れて到着しました。

 会社を定年退職してフリーで通訳をしているという韓国語の通訳者は、集合時間を間違えていたようです。勤務表が見にくいと文句を言っていました。男子団体テニスの決勝戦は日本対韓国なので、試合後韓国語の通訳も必要なはずです。雨のために自分の遅刻が仕事に影響を及ぼさずにすんだので、幸運の雨だと言っていました。

 ロシア語の通訳者はスーダン出身で、英語、アラビア語を含め3ヶ国語の通訳をするそうです。もともとスーダンの大学で翻訳を教えていたこと、今はサウジアラビアに住んでいること、自分は52歳の短編小説作家で近年2冊の本を出版したことなど、ひどく癖の強い英語で盛んに話すのですが、こちらからの簡単の質問はよく理解できないらしく、的外れな反応が返ってくるのです。

 11時、12時と試合を始めようとする度に雨が降り出し、その都度、試合が先送りになりました。退屈のあまりPCでゲームを始めている記者もいました。

 14時ごろ、試合の開始時間などを書き込むホワイトボードに記者会見の情報が書き込まれました。

 乗馬場で韓国の選手が馬の下敷きになって死んだので、その事故に関しての会見があるということでした。

 韓国の通訳者がにわかに色めきたち、自分が記者会見に行くべきなのかどうかを周りのスタッフに尋ね始めました。一昨日、彼は韓国の乗馬選手全員の取材通訳をしたのです。そのうちのひとりは韓国の財閥の御曹司だということでした。

 もし彼が必要になれば、携帯に連絡が入るという話しになり、彼は私と一緒にテニスコートに行きました。しばらくやんでいた雨がまた降り始め、やはり試合は無理なようでした。

 この数日の雨は1年ぶりで、現地の人の話では、ここ5年間経験したことのない雨ということでした。この雨が降らなければ、乗馬場での事故も起こらなかったかもしれません。

 テニスコートの軒下で雨宿りをしているとロシア語の通訳者が来ました。韓国語の通訳者が興奮した面持ちで乗馬場での事故を語るのですが、なにか昔話かなにかと勘違いしているようで、柔らかな笑顔を浮かべつつ、場違いな冗談ばかり言っています。

 私や周りの者が、もう少し冷静に説明すると、ロシア語通訳は状況を理解したようで、ようやく真剣な表情になり、謝罪の言葉を漏らしました。

 テニスの決勝戦は、結局、明日に順延になりました。

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