07/08/2006

融合の町

 今日はなんとかランドリーに行く以外はほとんど部屋を出ずに過ごすことができました。けれどもなかなか論文が思うようにはかどりません。

 実は明日からブリュッセルに行きます。大学院のコースの一環で、欧州委員会の見学が目的です。向こうで通訳ブースを使って訓練もできるようです。けれどもまだブリュッセルのことも欧州委員会のこともあまり調べられていません。すべてが消化不良気味に感じられます。

 今度は、ロンドンからユーロスターに乗り、ドーバー海峡の海底を通り、欧州大陸に渡ります。これも一度経験したかったルートです。次から次へと夢がかなっていきます。せっかくなのでパリにでも寄ってきたかったのですが、スケジュールの関係上、断念しました。少なくとも自然発酵のベルギービールだけは飲んでくるつもりです。

 今日はスペイン、マラガの写真を載せておきます。狂騒のモロッコは楽しかったのですが、スペインに来て、ナイフとフォークを出されたときには、やっと素手で食事をせずにすむようになったことに安堵感を覚えました。

 建物はもともとアラブ系の建築をキリスト教の教会に改築したものなど、文明の奇妙な融合ぶりが不思議でした。

 マラガはピカソの生誕地ですが、ピカソ美術館にはそれほどの大作はありませんでした。とはいえ中庭の美しい方形の建物は、思わず方向感覚を失ってしまいそうな魅力がありました。

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07/07/2006

海辺の町

 モロッコ滞在中にイギリスのエージェントから携帯に連絡が入り、通訳の仕事をさせてもらえることになりました。たった二日間の仕事で、場所もすぐ近くのブリストルだったので、引き受けさせてもらうことにしました。

 ここ数日、その仕事に関連する資料を次々と頂いています。すでに総計300ページを超えています。ちょっと専門的な内容になりそうで心配です。ますます忙しくなってきました。明日、モロッコで知り合った仲間の誕生日パーティーがロンドンであるのですが、私は欠席です。忙しいからという理由で付き合いを断るのは好きではないのですが。

 モロッコでの知り合いができたのは、主にエッサウィラという町です。先にモロッコ入りしていた友人たちが現地で知り合いを作り、そのモロッコ人がエッサウィラに別荘を持っていたのです。そこにさまざまな国籍の者が集まり、一度にお世話になりました。

 別荘に泊まったのは最大時で15名ほどになったと思います。シャワーがひとつしかなく、特に朝は大変でした。

 エッサウィラでは、たまたま音楽祭が開催されていました。浜辺沿いにいくつかの野外ステージが並び、モロッコの音楽だけでなく、さまざまな音楽が演奏されていました。思いがけずパット・メセニーの演奏も聴くことができました。

 エッサウィラには魚市場があり、そこで買った魚を隣接する食堂に持ち込むと、調理してくれました。

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07/04/2006

迷路の町

 モロッコ、スペインの話を書きたいのですが、今、最も重点を置かねばならないのは修士論文なので、思うにまかせません。

 今日は、一日中部屋にこもっていました。とても暑い日でした。もちろんモロッコやスペインも暑かったのですが、もともと暑い国だけに暑さの対策には抜かりなく、建物のなかは涼しいのです。モロッコの石造りの建物は、冷房がなくても案外快適でした。それと比べれば、イギリスの暑さはとても厳しく感じられます。午後、雨が降って、少しだけ涼しくなりました。

 夜は、キッチンにフラットメイトとその友人たちが集まってサッカーを観戦していました。私はサッカーには興味がなかったのですが、夕食の準備をしに行くとオーブン料理の最中で、キッチンは異常な暑さでした。

 とりあえず最初に滞在したタンジールの写真を載せておきます。タンジールでは、迷路のような町並みのなかでポール・ボウルズの家も見つけることができました。

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07/03/2006

砂丘の影

 モロッコ、スペインの旅から戻りました。地中海を挟んだふたつの大陸は、とても興味深い相違点と共通と点を備えており、今回、両方の土地を連続して訪問したことは旅程の組み方としてまったく正しいものだったと感じられました。

 さまざまな場所でさまざまな人に会い、さまざまなものを見てきました。なかでも最も強烈な体験はサハラ砂漠の訪問でした。

 喧騒の町、マラケシュから10人ほどの観光客とともにバンに乗り込み、砂漠に向かいました。アトラス山脈に向かうにつれ、赤茶けた大地が奇妙な地形をあらわしてきました。

 途中、オアシスやカスバなどを見学しながら、サハラには2日がかりで到達しました。初日は天気もよかったのですが、2日目はアトラスを越え、サハラに近づくにつれ風が強まり、途中から砂嵐で視界が利かなくなってきました。

 砂の中はクルマで走れないので、ラクダで移動することになっていました。けれどもラクダの待っている場所に行くまでにすでに舗装された道はなくなり、砂と岩の交じり合った大地をクルマで走りました。直前に通行したクルマの轍を踏んでいけば、なんとかタイヤを砂に取られることなく進んでいけるようでした。とはいえ、たまにすれ違う車は4WDが多いようで、観光客用のバンなど私たちのクルマくらいしか見かけないように思えました。

 エアコンはついておらず、窓を開け放して走っていました。あまりにも砂嵐がひどくなってきたため、運転手が窓を半分閉めました。それでもサングラスをしていても砂が目のなかに入ってきました。砂の目は意外なほど細かく、肌理の細かい粉薬のようでした。

 突如、クルマが止まりました。どうやら砂の吹き溜まりにタイヤを取られてしまったようです。観光客の一人が、面白がって奇声を発しました。運転手は、何度かギアを切り替え、クルマを前後に動かそうとしていましたが、事態はますます悪化していくようでした。

 乗客全員でクルマを押そうということになりました。女性の乗客が見守るなか、男性全員でクルマを押しました。運転手はモロッコ人で、クルマを押していた乗客は、イギリス人、アメリカ人、フランス人、スペイン人、ロシア人、そして私が日本人でした。クルマを押すと、少しだけ前進しましたが、砂の吹き溜まりから脱出することはできなそうでした。

 なすすべもなく全員が砂嵐のなかで立ちすくんでいました。私はその様子を写真に収めようとしていたのですが、2回ほどシャッターを切った時点でカメラが動かなくなりました。

 しばらくすると4WDのクルマが通りかかりました。そのクルマに牽引してもらい、さらにまた全員でクルマを押し、ようやく吹き溜まりから脱出することができました。クルマに乗ってからもカメラの様子をうかがいました。電源をいれても起動できません。カメラを耳に近づけると本体のなかでじゃりついた音がしていました。

 まもなくラクダの待つ場所に到着し、そこからはラクダに乗って砂丘を移動しました。テレビや映画では何度も見たはずの場所が圧倒的な実在感で迫っていました。いつの間にか砂嵐はやんでいました。何度もカメラの電源を入れようと試みました。何回かに一度、気まぐれに電源が入るのですが、シャッターを切ろうとすると電源が切れたり、そうでなくてもピントが合わなかったりしました。そうしてそのうち、液晶のディスプレイにはなにも映らなくなりました。

 電気も水道もないベルベル人のテントに到着しました。そこがその夜の宿でした。プロパンガスにつけたランプだけが夜の闇を追い払う手立てでした。クスクスの夕食をとっているとベルベル人が飼っているらしい猫が寄ってきました。

 食事のあと、ベルベル人がウィスキーを振舞ってくれるといいました。出される前から、それがアルコール飲料でなくミントティーであることはわかっていました。

 砂の上に直に敷かれた絨毯の上に仰向けになると、穴だらけの暗幕を明かりのほうにかざしたかのような星空が広がっていました。じっとその様子を眺めているといくつかの流れ星が見えました。そのうちのひとつはとても大きく、何人かの観光客が同時に嘆声を漏らしました。

 そっとベルベル人のテントを離れ、一人で砂漠を歩いてみました。プロパンガスのランプの光がテントのあたりからあたりの空間いっぱいに広がっているのが見えました。ふと砂丘の山腹に目をやると、見たことのないほど巨大な人影が砂丘の斜面全体に映っていました。ジンと呼ばれるアラブの魔人の伝説を思い出しました。

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