醒めない夢
昨晩、寝る前にシュアンが私に日本に送る荷物にまだ余裕はあるかと聞きました。コベント・ガーデンでティーポットとカップのセットを買ってくれたそうです。私がコベント・ガーデンでティーポットを買おうとしていて予定を変更したことを覚えていたのです。ただデビット・カードをフラットに置いていったらしく、支払いが済んでおらず、品物は店にあるということでした。
日本への荷物の引き取りは朝9時から夕方5時までの間で時間指定はできないということでした。シュアンは朝からティーポットを取りに出かけましたが、間に合うかどうか不安でした。
箱にテープを張らずに待っていると午前11時ごろ配送業者が来ました。シュアンに電話をかけたところ、ちょうど最寄の駅に帰ってきたところでした。
しばらく業者の方に待ってもらい、慌ててティーポットを荷物に含め、箱にテープを張り、業者の人に引き取ってもらいました。
集荷が早く済んだおかげで、少し時間に余裕ができました。ロンドンで最後の翻訳原稿を入稿し、また町にくりだしました。ロンドンのティン・パン・アレーと呼ばれるデンマーク・ストリートに行っていなかったことを思い出し、その周辺を散策しました。寒い日でした。冬の午後の弱い光を浴びたセンターポイントがピンクに染まっていました。
ロンドンにはまだまだ私の知らない顔がたくさんありそうです。けれどもようやくさほど迷いもせず、この町を歩けるようになりました。
2003年に友人の勧めで試験を受け、通訳学校に入学しましたが、その頃もまだ自分に通訳ができるなんても思いもしませんでした。目の前に道があるなら行けるところまで行ってみようと思い、留学を視野に入れ始めたのは2004年の春でした。一緒に通訳の勉強をしていた友人の牧師がオーストラリアのクイーンズランドに留学したというのも刺激になりました。留学を意識し始めた頃から数えれば約3年がかりの活動が、明日でひとつの区切りを迎えます。
日本を出てから、1年半、まったく日本に戻らず、ヨーロッパ、アジア、中東、アフリカの9カ国を巡り、イギリスでは3つの町に滞在することができました。
捨てるものはなにもない。失敗しても元の場所に戻るだけ。そんな捨て鉢な気持ちでここに来たわりには、思いのほか多くの成果を挙げられました。今、日本に来る前には見えなかった道も視野に入ってきました。同時に今の自分の限界と課題も極めてくっきりとした輪郭を描いているように思われます。
18世紀に古代ローマの温泉の遺跡を中心として復興された町、バースはおそらく世界史上初のテーマパークではなかったかと思われます。この町で一年を過ごし悟ったことは、目を開いたままで見ることのできる夢もあるということでした。
数年後にここで得たものをたんなる異国での楽しい思い出にしてしまわないために自分自身の記念の品はあまり用意していません。実用品や小さなものは別として、記憶を保温するためだけの目的しか持たないものはなるだけ処分しました。唯一の例外はミネラルウォーターのペットボトルに入ったサハラ砂漠の砂です。
明日、ロンドンを発ちます。例えば、日本に帰る予定のその日に私がこの世の中から消えてしまうとどうなるだろうか、などということも考えてみました。そんなふうに終わる人生だってあってもいいのかもしれません。
などといつもの子供じみた観念をもてあそびつつ、しみじみとイギリス最後の夜を過ごすつもりだったのですが、そうは行きませんでした。
フラットに帰ってくると、日本から一通のメールが届いていました。日本通訳学会関西支部例会での研究発表採択決定通知でした。イギリスで書いた論文をもとにした発表のための審査を受けていたのです。日本に帰ってからも、次から次へとやることあります。浦島太郎でおなじみの優雅で残酷な感傷を噛みしめる贅沢は私には許されないようです。
このブログはここまでにしておきます。毎日、ここでは書ききれないほどいろいろなことが起こりました。一度でもこのブログを訪問してくださったすべての方に心より感謝いたします。
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謝々
The sweetest moment comes at last.

































